黙想212:疑いに打ち勝つ
「疑い」とは何でしょうか。疑うとは信仰を欠くことであり、信仰を欠くとは、神のみ旨の完全な啓示と計画に対する信頼を欠くことです。何よりもまず、信仰の欠如から生じる疑いは、あなたが耳を傾けていないことを意味します。神と、その計画、そして神がわたしたちに啓示してくださるすべてを疑うとき、わたしたちは…
聖ファウスティナと歩む365日
祈り、黙想、個人の信心のための、神のいつくしみをめぐる日々の黙想です。聖ファウスティナの『日記』に基づく365の黙想です。
「疑い」とは何でしょうか。疑うとは信仰を欠くことであり、信仰を欠くとは、神のみ旨の完全な啓示と計画に対する信頼を欠くことです。何よりもまず、信仰の欠如から生じる疑いは、あなたが耳を傾けていないことを意味します。神と、その計画、そして神がわたしたちに啓示してくださるすべてを疑うとき、わたしたちは…
母の愛は、子どもを守るためなら喜んで自分の命を差し出すという意味で、「激しい」と表現できるでしょう。 子どもが危険にさらされ、苦しみ、助けを必要としているとき、母としての本能が働き、母は自分の身の安全もまったく顧みず、子どもを守ることを何よりも優先して…
あなたは懸命に働いていますか。善くあろうと努めていますか。よい変化をもたらしたいと望んでいますか。善くあろうと努めることは、確かによいことです。しかし、そのように努めるとき、神の愛が源となっていないかぎり、自分の「善さ」が神の目に真に善いものであると決して考えてはなりません…
罪を克服するには、神のいつくしみが必要です。わたしたちはあまりにも多くの場合、自分の努力によって罪を克服しようとします。しかし、それはむなしい試みです。自分の努力によって自分の罪を克服することは決してできないからです。あなたが闘っている罪から解放される道は、ただ一つしかありません。それは…
普通、矢は傷を負わせ、命を奪います。歴史を通じて、矢は戦争や狩猟に使われてきました。しかし、いつくしみの霊的な矢は、それとは大きく異なります。預言者シメオンがわたしたちの聖母に語った言葉を思い起こしてください。「あなた自身も剣で刺し貫かれるでしょう」(ルカ 2:35)。そして…
子どもは、愛情深く優しい親に寄り添うことで、大きな安らぎを得るものです。その愛の腕にしっかりと抱きしめられるとき、深い満足に包まれます。そのひとときには恐れや心配が消え去り、苦しんでいた心にも平和と安らぎが戻ってきます。主との間でも、同じように……
霊的生活にとっての現実の危険の一つは、「霊的なため込み」と呼べるでしょう。これは、神のいつくしみの道具となるのではなく、自分自身を神のいつくしみの行き着く先にしようとする人のことです。神のいつくしみの行き着く先になろうとすることで、人は……
主の平和はとりでのようなものです。わたしたちは、外から襲いかかる悪しき者のあらゆる攻撃を逃れ、その中に身を寄せなければなりません。このとりでの外では、わたしたちはこうした悪意ある攻撃のすべてにさらされます。怒り、抑圧、欺き、ねたみの矢は、聖なる…
花の萼(がく)は、形づくられつつある花びらを外側から包む葉であり、花びらが育つ間、それを守ります。柔らかな花びらが育つための、いわば「苗床」となるのです。この隠れた場所で花びらが育つ間、萼はそれを守り続けます。そして、花びらが十分に育つと、萼は開き…
世界中の砂を一粒残らず数えるという課題を与えられたと想像してみてください。それが不可能な課題であることは明らかでしょう。実際、世界中の人々が力を合わせても、そのような課題を成し遂げることはできません。わたしたちの力をまったく超えていることもあるのです。また、それにも増して…